2019年
フランスと日本の間で感じていること、考えていること、
そして、
ピアノの木サマースクールキャンプと
パリのツリーハウスの福島子供部屋
自然との共生、自分探し、自他の尊重、創作力、心の内面の表現としてのアート、心の交流を掲げてピアノの木は2006年に創設いたしました。 そして今、2011年の原発事故後、毎夏、 フランスの大自然の中 、モンゴルテントで、キャンプを始めました。チェルノブイリ、福島の子供をはじめすべての人が参加できるように企画しています。
どうしてここに至ったのかなと今考えると。
自分探し
まず初めに留学しましたジュネーヴの音楽学校で。
恩師であるヒルトブランの最初のレッスンで、『聴く』という事を教わりました。
聴く事とは、自分の内面の声を聴くことから始まるのだと。
自分の心の表現を探すこと。
他のピアニストの録音はなるべく聞かないようにとも言われました。
形、出来合いをまねることを否定していたのかなと思います。
自分自身の声を聴く事。
他の人の言う事を鵜呑みにしない事の逸話として
日本で先生に言われるように指の訓練の為と言って何時間も毎日していた練習(スケール)をなぜしていたのかと問われ、答えられない私に、なぜ意味もわからない練習をしてきたのかと言われてしまった時。そしてそれぞれの先生の言うことはそれぞれで決して同じではなく、自分の感じているまま、判断するしかないのだと言われてしまいました。
何も答えられず、ただただ涙が噴き出て何時間も泣き続けた私の事をその後、ヒルトブランは、祐子がレマン湖を作ったのだと冗談を言っていました。
それには訳がありました。
ある日10歳か11歳ぐらいだったと思うのですが、教育ママだった母に、がみがみ言われて、はっと気がついた事があったのです。おかあさんの言うように行動して生きたら、おかあさんのような人生を送ることになるのでしょうと、私はお母さんのようにはなりたくないと言ったことがありました。その日以来いろいろアドヴァイスしてくれる方々、先生方の言葉を彼らの存在、人生を見て判断しようと決心していたはずだったからです。
その私でさえと言ってもいいかもしれません。何とかして上手になりたい一心で自分の本意ではないあるいは自分で理解し、納得してない訓練を自分に強いていた悔しさと無念さで涙が噴き出たのだなと今は思い返します。そして同時に私が考えてきたことを理解していただける、あるいはごくごく当たり前に理解できる先生の言葉が嬉しかったのです。私の心に響き渡る言葉でした。
私が日本で受けてきた教育はおおよそ、朝の朝礼のように、気を付け、右向け右の軍隊式。素早く動かせる駒つくりみたいな気がします。
型をまねる。号令に従う。精巧な機械のようになること。
ロボット作りに長けている日本人は、日本人自身をまず精巧なロボットに磨き上げているように見えます。
ヒルトブランのもう一つの言葉で思い出すのに、結果ではなく過程が大事なのだというのがありました。
どんなに素晴らしいロボットを作ってもその過程である生産する人々が幸せでなければ何の意味がありましょう。
日本で言われる勝ち組、負け組って何なのでしょう。
幸せって何なのか?
最近よくこんなことをお話ししているのですが、フランス人の歩き方を見ていると、ボールが弾むように楽しげに歩いている人が多いのに、日本は特に東京の人たちは、まるでロボットか何か機械的と言うか硬いというか裃をつけているような、ぶつかると痛いほどの人が少なからずいるように見えるのですがと。
そして、日本人はなかなか人と違う行動はしずらいし、人と違う意見はなかなか言えずに、そうですねと、日本人は他者と同調しやすい人が多いのではありませんか?
いいえの言いにくい環境ではないでしょうか?
それに反して、フランス人は、そう簡単に他者には賛同しない国民です。賛成していたとしても同じですとは、なかなか言いません。自分の意見を表現出来ない事は恥ずべき行為とされているからです。
子どもの時から自分の行動を言語化させる教育がフランスにはあります。
ある日、悪さをした子供に対してお父さんが、なぜそういう行動をとったのか聞いている光景に初めて出会い、私はビックリし、私の受けた教育との違いに愕然としました。
私の父は軍隊に入って戦争をしてきた人間で、命令を下していた8年前を忘れられなかったのでしょう。私は1953年に生まれましたので。弁解無用、親の言うことに従えという教育で、小学校で民主主義を教えてもらって、親に試しても黙らされるだけでした。
お国柄とはこれほどの違いがあります。
最近聞いた安冨歩さんの言葉に日本は未だに富国強兵を続けているというのがありました。学校の朝礼で気を付け、右向け右っていう教育をしていたとフランス人に話したら一笑されてしまいます。それだから日本は危険で、敵国条項ははずせないと?(笑い)
人権の国フランスには、16世紀にすでに、エチエンヌ ド ボエシの書いた、 自発的隷従論 (ちくま学芸文庫に訳本あり) と言うのがあります。16歳の時に書いたと言われているのですが。 この本では16世紀までの独裁政治、封建社会がなぜ成立していたのかと、沢山の例から解説しているのですが、結論は庶民が独裁者に従いたい心理を持っていると結論付けているのです。心理学的におおざっぱに、簡単に言ってしまえば、みんなお父さんお母さんの指示を待つほうが楽、あるいはそういう教育を受けてしまって、一人の個人として立てなくなっている大人の体のお子様とも言えるのかもしれませんね。こうしたボエシの様な考察の結晶がフランス革命につながって行ったのかもしれません。
フランスではその革命以後、自由 平等 博愛という言葉を掲げていて公の建物すべてにこの3っつの言葉が壁に書かれています。
フランス人に言わせるとまだまだ不自由で様々な差別もありで争いはやまずと言っていますが、フランスの空気の中に根強くこの自由な革命の精神は、空気は残っています。
では日本ではと観ると、これが驚きで、
最近読んだ前述の安富さんの本に『親鸞ルネッサンス』というのがあって、その中の親鸞の仏教の自力他力の解釈では、お釈迦様は親鸞のために存在しているのであって他者の為ではない。神様もすべて親鸞一人の為の存在なのだという言葉がありました。何という言葉かと驚愕したのですが、よくよく読んで考えるに、自分自身に責任を持たずして何をも教えを説くことはできない。他者は知りえない存在。自分の心は聴いて行くことに寄って徐々に知り得ることが出来ても他者は不可能であるという事でしょう。自分の感性になぞって想像は出来ても他者にはなれません。他者の痛みは傷みません。他者の痛みによって自分が痛くなってもそれはあくまでも自分の痛みですよね。そういう意味でお釈迦様は自分ひとりのため、他者のためかどうかは自分には計り知れないものでしょう。
自分の時間、人生は自分以外の誰にも責任は取ってもらえません。自分で感じ、行動を選択して、動くのも自分です。仏、神様はそういう自力で悩み、苦しんでいる時に一緒にその自分のためだけに存在しているという事。それが自力と他力という事なのだろうと考えます。
親鸞の思想にすでに個人としての意識が定義づけられていたのかと驚きました。
日本にもあった。
ではなぜ右へ倣えになってしまうのかなという疑問が生まれます。
親鸞の教えからかけ離れてしまったのか?
ロボット、模型
今の日本人は立場で、役割で動いているかのように見えます。型の中に自分を押し込めていませんか?
上の言われるままに。あるいは、世の理想と言われる模型の中に自分を押し込め、子供も押し込める教育。出来なければ、はみ出せば、大人も子供も叩かれ、ひいてはいじめられ、自殺までしてしまう。
自分はどこに置いてきてしまったのでしょうか?
ロボットとどこが違うのでしょうか?
ただ、ロボットはまだ忖度とか、ましてや自殺は出来ないでしょうが。
いいえの難しい日本、議論は苦手
そして、日本では常識と思われていることに、なかなかいいえと言いずらく、以心伝心で済ませようとしていませんか?
そしてそれを忖度できないと勘の悪い奴と捨て置かれてしまったりしていませんか?
言葉で表現、可視化して初めて、議論が出来、反対意見も聞いて、自分の意見も明確にし、間違っていれば素直に認めてこそ、建設的な前向きな関係が生み出せるのではないでしょうか? そして、違う意見、感じ方、お国柄があることを知り、お互いを認め合って仲良く手をつないで平和な社会が作れるのではないかと考えます。
会話は自力と他力から
親鸞の言う他力とはピーンと来る、あるいは偶然とは思えない出来事に遭遇する時、他者に、あるいは外の世界から自分の話してもいない疑問の答えが示されたりしてビックリしたりといった現象から感じられると思います。精神分析家ユングの言う共時性を感じとれる時に他力が見えるのでは。そんな時、自分一人ではないことを暗示している、宇宙のウインク、合図のように私は考えています。自己の意識開発というお話ですが、こうして自分の内面を聴くこと、そしてインスピレーションと呼んでいる神秘的な他力を聴くことを大切にすれば、他者もそれぞれが自分で自分の声、インスピレーションを聞いて行動を選択して生きている事を尊重しあう事。それが人権であり、友情であり、愛なのではないでしょうか? こうして心の会話が自分とも他人とも出来る様になるのではないかと考えています。
ピアノの木 サマースクールキャンプ、モンゴルテント、Tree Houseの福島子供部屋
2011年3月11日以来、ピアノの木は、サマースクールキャンプを企画しています。
それは、福島の原発事故で放射能汚染地域に住んでいるお子さんをはじめとする方々を、子供は汚染地域を1年に最低3週間離れることに拠って免疫力を取り戻し、40パーセントも体に蓄積している内部被爆の放射能を排泄できるというチェルノブイリの経験知を参考に、子供たちが放射能の影響を極力避けられるようにと考えて始められた企画なのです。そして33年もたっても保養に来ているチェルノブイリの原発事故に直接出会っていない子供が今でもフランスの各地に保養に来ていることを鑑み、そしてチェルノブイリの子供たちとの交流を、音楽を通してあるいは、大自然の中でモンゴルテントに寝泊まりと、キャンプ生活を共に過ごすことで違う習慣にぶつかったりしながら自分の心を聴き、そして他者を、違いを尊重し合える人間に大人になって欲しいと考えています。
始めは福島の問題は福島に残っている方々が、放射能の危険の中で生活せざるを得ないという問題のみを見ていたのですが、方や避難出来た方々はもちろん初期被爆はまだ体に残っていることもあり、その上8年もたっているという事で国から県からの援助がなくなって生活に困窮するという問題、そして何より子供たちは、いじめにあったり、苦労している親をいたわって、自分の苦しみを話せない状態にあったり、精神的なショックはそう簡単に消えてなくなるものではありません。心理カウンセラーのあまり普及していない日本のこれも問題かもしれません。不登校の子供さんが増えているようです。自由な空気のあるフランスで息抜きをしていただく事は、そして違う価値観もあること、自分の心の表現は大いに推奨されることを感じ取っていただくためにもサマースクールキャンプ、モンゴルテント、そしてパリのTree Houseの子供部屋は常に皆様に解放されています。是非放射能の問題に限らず、日本を元気にするためにも子供達がのびのびと成長して欲しいとピアノの木は願ってやみません。勿論大人の方々もちょっと休憩、そして改めて外から日本を見ていただけたらと思います。
東京の戦後の復興と福島の原発事故からの復興
さて福島の原発事故から8年があっという間に立ってしまいました。8年と言う年月は長くはなく戦争が終わってからちょうど8年で生まれた私です。物心ついたころ戦争の影はほとんどありませんでしたが、ついさっき戦争が終わったと言う時代に育っていたのだと今思います。遠い歴史としか私には感じられなかったのですが。
東京生まれですとフランス人に言うと必ず東京って、どこよりもピカピカな大都会と想像されていることに最近気がついてこんなお話をします。
私が生まれた時に母は当時の洗濯機第一号を買って私の布のおむつを洗っていました。おむつは2つのローラーの間に挟まれてぺっしゃんこになって絞り出されてくるのを見たような。1960年になって掃除機というものがうちの絨毯をきれいにしました。自動車、電話、が続き1964年のオリンピックを機に白黒テレビが、大きな通りは舗装され、工事の土煙が凄かったことを覚えています。自動車の数はどんどん増えていきました。その後の文明の風のすさまじさは今まで続くわけですが。20年でぐらいで、すっかり復興が出来たのですね。
しかし、チェルノブイリ、福島は、33年たっても8年たっても放射能の消える年月ではなく、本当の意味の復興は何百年先の事。
自然との共生、外遊び
子どもの時は家の近くに原っぱはあり、ターザンごっこをして遊んでいたものす。 畑もたくさんありました。世田谷の祖母の家は田んぼの真ん中にありました。肥溜めとかあって臭くてたまらなかったこと。東京は田舎だったのです。プラスチックなどありませんでした。生ごみも、化学肥料がありませんでしたから、何の躊躇もなく、庭に埋め、紙ごみも、インクに毒ガスなどない時代ですから燃やし、残った鉄くずのようなものは、家の垣根の外の通りの端に作る木で出来たゴミ箱に捨てていました。停電もしょっちゅうでしたし。ろうそくと懐中電灯は常時置く場所が決まっていて、すぐに対処できていましたし、蝋燭の灯の下での夕食もなかなか趣のあるものでした。
必然的に自然との共生がまだ残っていた時代だったのだと思うのです。
今、日本では公園にボール遊び、スケートボード禁止などなど、いったいどこで子供は走ったり思いっきり体を動かして遊べるのかと思います。 子どもは泥んこまみれになって遊ぶのが彼らの一番大切なお仕事ではないでしょうか? 体力が付きませんよね。
フランスではって、また言いたくなってしまいますが、少しでも広い場所があればどこでも遊んでいますよ。サッカー大好き。
フランス時間
ちょっとここでフランスの悪口も言ってみます。
例えば、フランス人の時間の緩さには驚かされます。9時に仕事が始まるならタイムカードを9時に、そしてコーヒーを飲んだりクロワッサンを食べたり、同僚とひとしきりおしゃべりをして、9時15分より前には仕事は始まりません。そして、5時に終わるのなら4時45分にはかたずけ始め5時きっかりに退社します。
保険
さて、両親祖父母たちの時代80年ぐらい前には自然との共生いう言葉の必要性は感じられなかったのではないかと今思うのです。そして今は誰もが必要と思っている保険という言葉も。
ジュネーヴ学生時代を終えた時にそれまでは学生保険に入っていた私がどうしたものかと海外保険に入ろうかと両親に訊いた時の父の反応に仰天したことを考えます。保険など全く必要はないとお金を払わされる罠だと。戦争を体験した父母にしてみれば、保険なんてちゃんちゃらおかしいと感じていたのでしょう。その当時はなんて冷たい親かと思って嘆いたのですが、最近この保険について父の意見は正しかったなとつくづく思う様になりました。
現代では何でもかんでも保険、保険。すべてを確実に安全にしようと望んでいるかに見えますが。人間にとって確実なことは、どの人間でも間違いは起こすこと。そして自然界のすべてに最も確実なことは、死ぬことでしょう、それは自然の摂理であって、恐れるべき事ではないのではないかと考えています。未知なことを心配するのはある意味ごく自然な事とは思いますが。好奇心と冒険心を取り戻したら?
人間の恐れ、恐怖心はとんでもないことを起こす原因になってはいないでしょうか?
反対意見を言う恐怖、自分を押し殺してストレスが溜まって、辛抱しきれなくなって暴力的行為に至ってしまう。人と違う行為をして批判される他者の目を気にする恐怖。立場を失う恐怖。よく相手に反対意見を言われて感情的になっている人がいますが、自分の立場が危うくなるとか、恥をかかされるとかの恐怖心からなのかもしれませんね。面子。こうして自分で判断して間違える危険を回避するために、マニュアルどおりにしか動かない現代人。最近マニュアルにないからと災害時に、自衛隊の給水車を拒否した県がありました。自分で責任を取りたくない。すべてマニュアルの責任。
そして、日本人は問題解決を、会話ではなく、自分の意見にただ従わせるための恫喝で相手を押し切る。いじめとか、虐待とかも、どこかでこのような、恐怖の裏返しになっているのではないでしょうか?
でも本当は敵は自分の中、怖がりなのではないでしょうか?
子供が怪我をしない為の確実な方法は、外で遊ばせない、檻の中に閉じ込めておくことなのでしょうか? あちこちの公園にボール遊び禁止、サーバーボード禁止、野球禁止、走ってはいけない等々。こどもに遊ぶなと言っているかのような表示に呆然としました。子供がお年寄りにぶつかったり、大人の通行の邪魔になるのでしょうか?
子供同様に私たちは万が一の為に9999の可能性を犠牲にしていませんか? 万が一の危険の為に多額の保険料と私達の元気を奪われているように思えてなりません。
好奇心や冒険心を培えなくなった子供と私たち大人と言われているゾンビ。
人間、動物一般も、恐怖心が大きくなると誰しもパニック状態を起こし、相手かまわず、敵は誰でもよいのかもしれません、暴力的になるのではないでしょうか?
蜂は攻撃されたと感じれば刺してきます。
勘違いしている、踊らされているのでは?
恐怖心をあおって、民族の、宗教の違いからの小競り合いなど、自分の慣習以外なかなか受け入れ難い、違いを尊重できない人間の弱点をを利用して武器商人は、上手に富を増やし続け、より大きな力を蓄え、恐怖心は益々煽られ、利用され、銃を作り、爆弾を作り、ミサイルを作り、ドローンを造りり、サイバー戦争にまでなり、なんでも攻撃、防御、抑止力等と言う名の万が一の保険に、私たちは踊らされているのではないでしょうか?
薬も医学もなんとも怪しい感じがしています。
平和を造りましょうよ
戦争を体験してきた方々の世代が今、その体験談を聞いたことのある世代に受け継がれているのだなと考えています。戦争ではなく人間がいかに仲良くお互いを尊重し合い、平和な楽しい交流がなされるか。戦争を知らない私たちが心して、努力したい時代になっていると思います。幸せとは心を分かち合える時間ではないでしょうか?
核兵器で、秘密兵器、化学兵器、気象兵器と、あらゆる兵器が開発され、それらの兵器があまりにも簡単に手に入り、簡単に使われる時代になりつつあります。だからこそ、暴力で脅しても無駄という真逆の、ツーテンジャックのような効果にたどり着けないかなと期待している今日この頃です。平和はお互いの理解、自分との仲直り、他者との仲直りから始められるのだと確信しています。自分の自然体を大切にすること。言ってみれば、これは自然を大切にすることと同じ事だろうと思います。自然を破壊してきた私たちは自分自身をも破壊して来たのではないでしょうか? 快適、安全、クリーンと言う名の下で失った元気な好奇心、冒険心、創造的な力を。合気道の最大の防御は愛だと聞いたことがありました。
今日、安全が真綿のように保障されていくうちに、自主的に判断する能力、様々な予防接種で免疫力が少なくなってしまった私たち人類の未来はと考えます。市民の恐怖心が、安全快適という名で、人間の本来持っている様々な可能性の喪失を招き、世界を牛耳っている100人足らずかもしれない人々の手の内に、私たちを落としめているかのように思えます。これが現代の根本的な問題になっていないでしょうか? 便利な快適な電気をふんだんに使う日常生活をちょっと考え直してみたらどうでしょうか? 原発は止められていたし、危険極まりのないものだと日本人は理解したに違いない。ではなぜまた再稼働、事故の責任は誰も問われない。どうして危険な物と知りつつ、止められないのか? いったいどうして? 安全を望む人間がなぜ? なぜ? なぜでしょうか? 何かに騙されているかのよう。
日本では友人宅に居候させてもらっているのですが、その友人の家にウオシュレットのトイレが付き、初めて使ったとき、トイレの扉を開けると同時にトイレの蓋が開き、私はびっくりして大声を出したことがありました。ところが、そのびっくりは直ぐにすっかり慣れてしまって、他の場所でトイレの蓋が開かないことが億劫になりそうになって、我ながら呆れたことがありました。私は怠け者。便利、快適に直ぐに順応してしまいます。そして、自主的能力を知らない内に簡単に譲渡し、スポイルされてしまう。
危険極まりないことだと思います。
サマースクールキャンプでは電気を使わない、洗面、食事といった日常生活を考え直す機会だろうと思います。 不便な生活。安全からちょっと離れて自然の中で、自分の力を蓄えて、外で生きてみる経験は今後ますます大切なものとなるだろうと考えています。
今回は静岡にも行ってきました。そこで見た昭和時代の空き家のほんの少しの地所にもある植え込み、ほんの小さい面積でも簡素でも緑のある美しい日本のお庭と、新築された家は庭なし、コンクリートでおおわれて草一本生えていません。洪水になると大変です。
忙しい日本人の生活の象徴のように見えました。
お金は最強の麻薬
動物は自分が必要な分のみを食します。人間も私たちのお腹も食べる量に限界があります。もともと生物としての必要不可欠な原点の食には、こうした限界があり、自然の恵みはそれ相応の限界があります。ところが物々交換から始まり進歩したはずのお金は、稼いでも稼いでも限界がありません。必要以上の稼ぎは他者の食を奪い取っていることと同じことなのだと思うのですが、可視化されないので、どんなに困っている人を見ても稼ぎすぎている自分がその原因だと気づく人は少ないのではないでしょうか?お金は最強な麻薬だと思います。中毒を起こして理性も感覚も衰退させてしまうのだと思います。安全のため、安心のため、自分の恐怖と立ち向かわずして、平和はあり得ないのだと考えています。危ないからと家に閉じ込めていては子供は、大人も成長も元気も出ません。日本を元気にしましょう。
自分を取り戻す、元気になる運動をみんなで手を取り合って楽しく踊りながらやってみませんか?
追伸
今回の日本滞在で、静岡のミナローザ、横浜YWCA、鎌倉あそび基地でコンサートワークショップをさせていただいて集まったピアノの木福島子供基金で、夏の私たちのキャンプに参加した事のある福島の子供の一人が、大学生活に適合できなく苦しんでいることから、フランスへ気分転換していただくために呼ぶことにいたしました。本当にありがとうございました。そして、私たちのモンゴルテントは10周年の記念式を11月2日にすることとなりました。ボルドーの北、ラロッシェル近郊の若いカップルが有機農園のわきに立て、彼らも使ってくれることになり、年中、私たちピアノの木も行事を企画したり、福島の子供たち、皆様も夏だけでなく、パリのツリーハウスの福島子供部屋同様にいつ来ても泊まれる場所が出来て、交流が多くなることと期待しています。
福島に残っていると放射能の心配があり、避難あるいは彼女のように福島をやっと離れられることになってもいじめにあったり、精神的な不安に脅かされたりと、どちらでも彼らには厳しい状況が続いています。 そして不登校になってしまう子供たちとも、フリースクールを通じて会う機会を頂けましたが、日本の社会に適合できない問題児って、元気で自主性があり、好きなことをやって行かれる子供が多いことに驚愕しています。
ピアノの木サマースクールキャンプに、フランスに自由な空気を吸いに来てほしいと呼びかけて回った今回の日本滞在でした。
元気になれるサイトをいくつかご紹介します。
学校法人きのくに子どもの村学園
自由な素晴らしい小学校、中学校、高校まであります。
http://www.kinokuni.ac.jp/nc/html/htdocs/index.php
パーマカルチャーセンタージャパン
NPO法人鎌倉あそび基地
学童保育ふかふか|あたたかいわが家を目指して/フリースクールLargo|きみの"楽しい"を探そう は、『ふかふか』で、地域の方・乳幼児親子・子どもたちをつなぐ事業を展開しています。