ごあいさつ
2026年――
私にとって特別な「140年の年」を迎えるにあたり、皆さまとこのひとときを共有できますことを、心より嬉しく思います。3歳でピアノに出会って70年。ジュネーヴ音楽院での学びを経てパリに拠点を移し、フランスで過ごした50年。そして、音と沈黙、子どもたちと自然、そして自由を大切に歩んできたNPO〈ピアノの木〉の活動も20年を数えました。
私はこれまで、“勝ち負け”よりも自分の心が喜ぶ方向を大切に歩んでまいりました。
高速道路ではなく、風や光を感じながら自然の小道を旅するような人生。
その軌跡を、音と言葉で静かに分かち合いたい…という想いで、この会を企画しています。
この演奏会は、その年月を一つに織り合わせた「音の記念」です。
ショパンとドビュッシー、二人の音楽家の生き方に敬意を捧げつつ、彼らの作品を、現代に響かせる――
それは単なる再現ではなく、自然と芸術、そして心の自由を通して、時代を超えてつながる魂の愛を今ここに手渡すことだと感じています。
まだご縁の始まったばかりのこの地で、皆さまとの出会いを大切に、音と言葉をお届けできますことを願って。
コンサートの予定プログラム
クロード・ドビュッシー
月の光(Clair de Lune)
《ベルガマスク組曲》第3曲より
静けさと詩情に包まれた、ドビュッシーの代表作の一つ。
月明かりの下、
心 の奥に宇宙が響く幻想的な作品です。
クロード・ドビュッシー
金色の魚(Poissons d’or)
《映像 第2集》より
金色の魚が自由に泳ぐ様を、
軽やかなリズムと煌めく響きで描いた作品。
遊ぶ心、“遊心大海”を象徴するような、生命力にあふれる一曲です。
広田祐子
パシュパティナート(Pashupatinath)*
カトマンズにあるヒンドゥー教の聖地にインスピレーションを得た作品。再生と祈りをテーマに、深いスピリチュアリティを描きます。
作曲者自身の演奏でお届けします。
広田祐子
即興演奏(Improvisation)
今、この場で生まれる音の流れ。
50年にわたるヨーロッパでの経験から生まれる、自由な表現を
お楽しみくだ さい。
フレデリック・ショパン
ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調 Op.58
ショパン晩年の傑作。内面の抒情と力強さが4つの楽章に込め
られています。
第一楽章:Allegro maestoso
冒頭、問いかけのような不安定な和声と動機が現れます。
それはまるで探求の始まりのようで、確信へと向かう推進力を秘めています。技巧的な提示部には、感情の高まりと揺らぎが交錯し、海のような内面のうねりが感じられます。
やがて現れる第二テーマは、心の奥にそっと語りかけるような、美しく情感豊かな旋律です。
その旋律は、ショパンの内なる声――静かな希望や優しさ、失われゆくものへの愛惜を、そっと浮かび上がらせます。
この楽章は、単なる技巧の披露ではなく、ジョルジュ・サンドとの濃密な精神的交流の反映であり、同時に、離れゆく絆の予兆でもあったかもしれません。
第二楽章:Scherzo – Molto vivace
羽ばたくようなモチーフは、群れ飛ぶ鳥たちの舞を思わせます。
そこには自然への憧れと、束縛からの解放感が込められているように感じられます。中間部では夜の静寂のような安らぎが広がりますが、そこに突如現れるラッパのようなモチーフは、不穏な予感や、遠くの出来事の呼び声とも受け取れます。
第三楽章:Largo
この楽章は、父の死の報を受け取った後に書かれたとされます。
深い悲しみと静けさ、そして天に昇るようなコーダ。
そこには追悼というより、魂への敬意と静かな対話があります。
音はやがて光のなかへと消え、父の魂が導かれていくような余韻を残します。
第四楽章:Finale – Presto, non tanto
冒頭には、前作のソナタ第2番の「葬送行進曲」を思わせるような和が響きますが、そこから一転して、強靭な生命力が立ち上がってきます。
父の死、祖国の苦しみ、そしてそれらを越えて生きようとする力――。
このフィナーレには、ポーランドの自由への祈りと、ショパン自身の音楽的意志が、凝縮されているように感じられます。
* パシュパティナート
私は川辺にいた、
パシュパティナートで。
多くの外国人観光客と同じように、
ただ座り込んで、
磁石のように深く引き込まれ、
その光景をただ、呆然と見つめていた……
時を超えた場所で……
積み重ねられた薪の上に、
白い布に包まれた遺体が運ばれてくる。
愛する者たちの悲しみとともに……
火がともる。
火葬台のまわりを僧侶たちがまわりながら、
マントラを唱える。
すぐにまた、別の遺体が運ばれてくる。
白い布に包まれて、愛する者たちの嘆きの叫びとともに……
火がともる。
火葬台のまわりを僧侶たちがまわる。
マントラのリズム。
灰は川に流される。
私たちの静かな沈黙が続く。
それが突然、
無邪気で生き生きとした猿たちの鳴き声に破られる……
猿たちはあちこち走り回る……
彼らはこの光景に、まったく頓着していない。
次から次へと、果てしない葬列がやってくる……
自然のリズム、生命のオーケストラ。
積み重ねられた薪の上に、
白い布に包まれた遺体が、嘆きの叫びとともにやってくる……
燃え上がる炎。
火葬台のまわりを僧侶たちがまわり、
マントラを唱えるリズム。
火が終わり、灰は川に流され、
やがて遠い海へと流れていく。
私たちの沈黙は動かぬままに続く。
それがまた突然、
無邪気で陽気な猿たちの声に破られ……
あちこち走り回る……
彼らは気にも留めない……
果てしない葬列が、次々とやってくる……
自然……生と死。
終わることなく……
果てしなく続いていく……
私はパシュパティナート寺院の川辺に座っていた、
1996年のある午後……ネパールで。
太陽の下で……
広田 祐子
トークの原稿
ショパンの心の表現は、自然と産業、戦争と移民、彼のメッセージが、今ここ、八丈島、遠い過去や未来、そして国境をも越えて、私たちに語りかけてくるように感じませんか?
彼の音は、私たちの心のそばにそっと触れ、クラシック音楽という雲の上の存在を、身近なものとして感じさせてくれます。
心の秘密基地は、時代も国も越えて、私たちの心の中にそっとあるものだと思います。
みなさまにとって“秘密基地”ってどんなところだと思いますか?
心のなかの秘密基地
秘密の花園が。
そこでは、悲しい時、
一人ぼっちの時、
周りに分かってもらえなかった時、
泣いている心を安らかに、温められる場所。
自分の気持ちのままでいて良い場所。
他者と違っても良い場所。
誰にも忖度する必要のない、
誰にも否定されない自分の秘密基地。
心の秘密基地は、自然の中で癒される空間とも似ている。
自然はみんなの秘密基地。
森の中で、松の香りや、木々の香り、澄んだ空気をいっぱい吸う時。
海辺でひたひたと押し寄せる波の間を裸足で歩く時。
大波が今にぶつかり真っ白な波しぶきと大きな音が響く時。
自然界の中では全て、同じものはない。
環境の違いもあり、すべての個々が、自然体として生き生き生きている。
それぞれの秘密基地。
自分の秘密基地。
あるがまま。
感じるまま。
自分に嘘をつく必要がない。
好きなように伸び伸びと生きる自然の生物。
自然の生命体は一つとして、1枚の葉さえすべて違う。
違いが当たり前。
安心して、自然体でいられる場所。
自分、無双の自分。
自然界は、みんなの秘密基地。
その中でそれぞれの心の秘密基地を生きている。
違いの集合。
そんな違いの
自分の世界をつぶやいてみる。
話してみる。
描いてみる。
歌ってみる。
おとにしてみる。
表現してみる。
自然の表現。
自分らしい表現。
感じるまま。
それぞれの違った自然体の表現、
様々な違った表現。
無双の花園。
私が、私の魂と仲良く向き合って、楽しくお話する所。
私の子供時代
子どものころ、よく両親に叱られました。説明しても言い訳だと受け取られ、「弁解するな」と言われて悲しくて、泣きながらピアノを弾いたことが何度もありました。
ピアノは、私の心を音にしてくれました。
悲しい音が、私を慰めてくれたように感じます。
音にすることで、「私は私と一緒にいる」と思えることができました。
――独りじゃない、と感じられたのだと思います。
悲しみも、喜びも、ピアノは、いつもそばにいて理解してくれる親友のようでした。
秘密基地だったのだと思います
内面の、秘密基地の声を聞くことが、羅針盤。
この羅針盤が人生の方向を示してくれるもののように思います。
たとえ理解されなくても、仲間外れにされても、
自分の中に軸があれば、自由でいられるのではないかと感じます。
心の豊かさとは、秘密の花園を手入れするようなものだと思います。
音楽や絵や言葉で表現することは、その花園を育てる大切な方法のように感じます。
自分の心を表現すると、「自分は自分でいい」と思えるようになり、
その感覚が、生きる力につながるのではないかと感じます。
人が何と言おうと、ピンと来ること、心が動くことを大切にすること。
心と向き合い、表現していくうちに、
少しずつ、自分の力で、浮き輪なしで泳げるようになると思います。
浮き輪――それは社会が価値のある物とする、地位やお金、名声のようなものです。
それを求めず、しがみつかず、社会の期待や承認欲求から離れ、自分の力で泳ぐ快感――それが、本当の自由なのだと感じます。
唯一無二の自分を生きること。
違うことは、素敵なこと。
自然界と同じです。
同じ木も、葉も、根もなく、同じ動物もいません。
自然の波動は、私たちを癒してくれます。
自分の心の羅針盤に従って生きることは、自然体の自分が、この自然界の波動に溶ける事だと思います。
それは孤独ではありません。
宇宙や自然、インスピレーションとつながりながら、星星がそれぞれの軌跡を描き、共に生きているように。
ショパンにとっての“心の秘密基地”
その結晶のような、人生の表現が、この第3番のソナタなのではないかと。
彼の内なる孤独、祈り、そして自由への希求が、
音の一つひとつに息づいているのだと思います。
ショパンの心の秘密基地が、結晶となって光を放ち、その自由な魂の声が、私達の心にも共鳴しているのだと感じます。
そして、私たち一人ひとりの心の中にも、
小さな秘密基地があり、その場所を信じ、育て、表現することで、人生はより自由で、豊かに、輝くのだと確信しています。
ショパンのこの壮大なソナタを皆様にぜひお伝えしたいと思い、演奏、お話いたしました。
内面の自由、ショパンとドビュッシーを支えた女性たち
時代も作風も異なる二人の作曲家――ショパンとドビュッシー。
彼らはいずれも、自然との深い結びつきを大切にし、その息吹を音楽の中に感じさせました。
ノアンの林や畑、あるいは水の揺らめきを描いたショパン。
「金色の魚」に泳ぐ光、「月の光」に包まれる静寂――ドビュッシーの音楽には、都市の喧噪から離れた、静謐な自然のイメージが宿っています。
彼らが何よりも重んじたのは、内面の自由でした。
ショパンは故郷ポーランドを遠く離れながらも、音楽にその切なる思いを託し、
ドビュッシーは世俗の束縛や音楽界の慣習から距離を置き、独自の表現を貫きました。
二人にとって、物理的な権力や社会的な成功以上に大切だったのは、心の自由と芸術への誠実さだったのです。
そんな彼らの人生に、欠かせない存在だった女性たち――ジョルジュ・サンドとエンマ・バルダック。
サンドは、男性優位の社会にあって、自らの意志で創作し、生き、愛した作家であり、ショパンの病を支えた献身的な伴侶でもありました。
エンマは、ドビュッシーの複雑な私生活の中で娘クロード=エンマを育て、彼にとって精神的な支えとなった女性です。
彼女たちは、当時「不道徳」とされた恋愛や離婚、再婚を経験しながらも、世間の批判に耐え、自らの人生を選び取った、自由で強い存在でした。
また、ショパンやドビュッシーが生きた時代は、産業革命と都市化が進み、人々の暮らしが自然から次第に遠ざかっていく時代でもありました。
彼らが自然の中に身を置き、そこからインスピレーションを得ていたという事実は、今日の私たちにとって忘れてはならないメッセージでもあります。
現代、自然破壊や気候危機が深刻化するなかで、彼らのように自然と密接に生き、内面の静けさを大切にする生き方は、むしろ現代のエコロジストが目指す理想のライフスタイルそのものに通じているのではないでしょうか。