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つれづれの考察​ 
日々の出来事や出会いの中で、ふと立ち止まって考えたこと

承認欲求と魂

 

これは、私自身が迷いながら書いた文章です。

同じ場所に立っている人のために残します。

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承認欲求と魂

​

子供が大人に認められたいという欲求。

学歴、

大企業に就職すること、

金持ちになること、

名誉、

といった外部からの欲求に応える生き方。

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お金は消費の楽しさをもたらす。

裕福な暮らし、

贅沢な旅行、

贅沢な食、

贅沢な創作。

消費生活を望む人たちからの憧れや嫉妬を受ける。

​

有名になると、

発言が力を持ち、

仕事がスムーズにたくさんでき、

大きな影響力を持つ。

例えば、政治家は国民のために仕事をするのか否か。

地位を得るために、個人の、そして何より自分自身の内面に

頓着することを避けるようになるのではないか。

​

それら、いわゆる外的な成功や承認欲求を持たない場合は、

時間に余裕があり、

自分の内面の声の欲求に従える。

それに適した行動が積み重なり、

より深い人生経験が可能になる。

つまり、深い考察、

内面からの魂の実体験。

​

追求することは、いずれの行き方でも容易ではなく、

どちらを取るにせよ、言うは易しであろう。

​

前者の仲間入りをして、虚しく感じない人はいるのだろうか。

しかし、後者を生きるときに前者を批判しても、

それは自己弁解のようにしか映らない。

​

後者を選ぶには、

ただ自分の感じるままに生きること、

それを実践し続けること、

魂の直感、心の声に従うだけである。

個人の心の赴くままに生きることは、

社会の中ではお金に苦労し、

贅沢な消費はできず、

貧を甘んじて引き受け、

他者からばかにされ、下に見られることもあるだろう。

それらを感知せずに生きることはできない。

否定されるか、無視されるか、

いずれにしろ社会の要求に沿わない生き方を、

自信を持って生きることは並大抵ではない。

​

しかし、それは、逆にとてもシンプルな行き方でもある。

すべては個人の価値観で決まる。

​

そこには、自分の直感、

言い換えれば宇宙とのつながりを

確信できるかどうかが関わっているように思える。

次元の違い。

​

そして、それを避けさせたいのが

社会を牛耳る人間たちの思惑なのかもしれない。

​

この罠に気づくことはチャンスであり、

何にも変えられない魂の道である。

​

2026年1月7日

人人唯識(にんにんゆいしき)​

 

ますます時間が圧縮され、

あらゆるものが即席に作られていく時代。

お金、名誉、地位——

数値化された「物差し」によって価値が決められ、

その幻想を追い続け、搾取されながら、

ひたすら走り続けるような現代の価値観。

そんな時代にこそ、

時間に追われず、自然のリズムで生きることが大切ではないか。

季節が巡るように、

一人ひとりが持つ推進力に従って、

その時々の自分で在ること。

学びもまた、それぞれのリズムで。

好奇心の赴くままに。

今この瞬間を、自然体で生きる。

そこから生まれる表現は、

自由で、自在であるはずだ。

すべての人生、すべての人間の、

一秒一秒がユニークで、かけがえのないもの。

それは決して、他人と比べられるものではない。

それこそが、人の生き様ではないだろうか。

蓮の花​​

 

この世は、苦しみからできている。

けれどそれは、
毒にもなり、栄養にもなる。

泥に沈み、嘆きに溺れ、
空を仰いでも、意識はやがて腐る。

自己憐憫という名の沼に座り込めば、
泥に支配される。

けれど蓮は、
その泥を吸い上げて、
静かに、たしかに、花を咲かせる。

苦しみを受け入れるとは、
それを愛することではない。
耐え忍ぶことでも、ただ我慢することでもない。

逃げずに見つめ、
汲み取り、
意味を光に変えること。

苦しみの底にこそ、
意識の根は深く張る。

蓋をせず、否定せず、
ただ、そこに立つ。

そして歩き出す。

それが、
自立という名の光。

外の光を追い求めるとき、
心は、影に囚われる。

けれど、光も、影も、
ほんとうは、自分の中にある。

影に囚われるとき、
わたしたちは気づかずに、
誰かの目、誰かの言葉、
誰かの承認に、心を明け渡している。

泥に感謝しながら、
内なる扉を見つけ、
そっと、開けてゆく。

一歩、また一歩、
静かに、進む。

そうして咲いた花は、
誰のものでもなく、
唯一無二の、わたし自
身の花。

コミュニケーション

コミュニケーション

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コミュニケーションによって、人間関係はより深まっていきます。まず、自分自身を理解するためには、自分の考えを意識化し、言語化することが非常に重要です。同時に、相手の言葉にも真摯に耳を傾ける姿勢が求められます。つまり、自分の心と相手の心の声をよく聴くことが基本です。

 

他者と意見が異なる場合、何らかの形で自分の考えを表現しなければ、関係は前に進みません。面倒に感じて逃げてしまうと、相手に自分の理解を求めないことになり、断絶や理解し合えない関係に陥る可能性があります。そうした関係は、いつの日か分裂の危機を迎えることもあるでしょう。

 

意見がぶつかることから逃げず、反対意見を上手に伝える訓練は必要です。もちろん、タイミングや相手によっては理解を求められない場合もあります。その見極めもまた大切です。

 

こうした姿勢のもとで行われる討論こそが、建設的な議論となり、人間関係の質を高めるのです。

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                                                                                                   10/08/2025

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